120>>>進む

前回書いた件が一旦、収束しました。事の発端は私が気軽に仕事を受けてしまったのがいけないんですが、去年の秋くらいは個人で仕事をしていました。
周りの人に羨ましいとか、子供がいなかったらとか、自由だねとか、色々言われていたのですが、常に付きまとっていたのは『仕事がなくなったらどうしよう』って気持ちでした。
そんな中、たまたま行ったセミナーで知り合った人から、トライアルをやらないかって言われました。フリーでは時々あるんですが、ちょっとした課題をやってクリアすると、継続的な仕事が約束されます。
そういった話はよくあるんので、安定した仕事をぶら下げられて、つい飛びついてしまったんですね。課題を聞いたらざっと3週間程かかりそうなので、少額ながらお金をもらえるとのこと。
一週間後とに進捗とリソースを提出していたのですが、その度にどんどん仕様が変わっていきました。そのせいで当時は、ほぼ眠る時間なんてなかったし、一日中ソースを書いてました。
最初は簡単なwebシステムと聞いていたのに、出来上がってみたらCMSでした。今思えば、その時点でおかしい事に気が付けばよかったんですが、今となってはどうしようもありません。
振り込まれた金額は、当初話していた額の半分でした。そして請求書を出すといったら、トライアルだからと受け取らない。あれ?おかしいなっと思いはじめたのはこの頃です。
それから急にメールが来て『あなたのことをもっと知りたい』、『直接会って話がしたい』というメールが来るようになりました。でも鈍感は私は、技術的なスキルを知りたいのだと思っていたし、直接会って案件の話がしたいのかなって思っていました。
本格的に気が付いたのは『仕事がないなら、嫁に来ればいいよ』という内容が来た時でした。結局、素直に『好きな人がいるので、ごめんなさい』と返信しました。
それからは、ある意味とんとん拍子で、私が出会い系にいることになったり、出会い系サイトのメールと共に、私の画像と合成されたものが送られてきました。
私は体を売ったことになっていて、仕事の対価としてもらったお金は『借りた』ことになっていました。
当時、付き合ってたといえるかはわかりませんが、好きな人がいたけれど、そんな事は言えなかった。その人自身、色んなことを抱えていたし、私を信じてくれる保証もない。何より巻き込みたくなかったんです。 このことを親に言う、ビラをシェアハウスに撒く、シェアハウスの住人に言う、facebookやTwitterのアカウントを晒す、部屋の前で監視してるとメールが来る、保険証の画像をネット上に載せる。
挙げればきりがなかったのですが、そんなメールが毎日送られてきて、毎日ビクビクしながら過ごしていました。私よりもシェアハウスの人に迷惑がかかりそうで、怖かったんだと思います。
そんな日々が続いて、先月は郵便物が無くなった上に、内容がその人に筒抜けていたので、ちょっと人間不信気味にもなりました。
なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのか、私は頑張っているつもりなのに。お金も時間も心も減っていくようで、本当に辛い半年でした。
流石に郵便物が無くなった件で、シェアハウス側に迷惑をかけてしまいそうだったので、弁護士さんと警察へ行きました。
ストーカー規制法で厳重注意くらいしかできませんでしたが、少しは良くなったのかもしれません。相変わらずネット上には載せられてますが、他の人に危害がないなら良いかなって思っています。
そしてひと段落して、もう疲れてしまいました。前にも書いたんですが、早く死にたい。
警察に行って良かったかと言えば、良かったんですが、やっぱり疲れた。
理由もほとんど聞いてもらえず、お金は返さなきゃいけないよ、利子とかお金のことは警察管轄外だから、君が危ないのはわかっているど守ることはできない、首相や政治家とわけが違うからね
結局はお金を払って、弁護士さんに警察署にきてもらったらすぐ通ったんですけどね。そんなの分かっているけど、面と向かって言われると辛い。
ひと段落して感じているのは、疲れた。本当にそれだけです。わたしが頑張ってお金を稼いでも、友達を作っても、恋人ができても、無くなってしまうんだなって実感しました。
そろそろ、生きる理由も減ってきました。大切なものも、少しづつ減っています。このまま減っていくのを見ていくなんて、きっと耐えられない。
なので他の人とは逆方向へ。前に書いた通り、もう頑張りたくないし、生きていたくない。


119>>><疲労

疲れました。仕事が忙しかったものありますが、トラブルに巻き込まれていて。去年の秋くらいから、この件で不安定になっていました。
先週も法律事務所へ仕事の合間に行き、今日も警察署へ行ってきました。
なんで、私がこんなことにお金と、時間と、神経を使わなきゃいけないんだろう。どうして、なんでって何回も思いました。
もう、疲れて、どうでも良くなってきた。早く、死にたい。


118>>>話し合い。

名古屋へ出張に行ってきました。物理サーバーが吹っ飛んでしまったり、バッチが死にかけていたりと、バタバタした中の出張でした。
少し無理なスケジュールで行ったのは、ちょっと急ぎの内容だったんですね。私が行った理由は単純に開発会社が相手だから、なんですが…。
兎に角、ひどい内容でした。そこそこ平均年齢の高い会社さんなんですが、『できない』、『安定したい』、『環境を変えたくない』ばかり。
特に『できない』って言うのは、開発者としてどうなのかと。まだ『やりたくない』の方が、全然マシです。
何だろう、このもやもやした感じは…。開発者として『できない』って、言ってはいけない気がします。今はできないとか、時間的にできないとかなら全然良いんですが。
新しい事を覚えなくなった時点で、そこで終わりな気がします。勿論、今までの技術や経験も大事なんですけど、なんだろう…。
もう皆若くないから、なんて言われても、全然納得できません。60歳を超えてから英語を覚える人もいれば、80歳からPCを覚える人だっています。定年退職後に、アプリの開発を覚える人だっているんです。
もしかすると、私が疲れてイライラしているだけかも。でも、やっぱりエンジニアって名乗るなら、変わりゆく技術を勉強しなきゃいけない気がします。
と、思うままに、書き殴ってしまいました。部長から『怖い』って言われてしまったので、来週は心穏やかにいけますように。


117>>>転職。

わたしも転職したばかりですが、周りも転職している人が多い気がします。
最近、情報集めるのに便利なので、twitterを再開したのですが、元上司からメッセージが飛んできました。 『いま、何の仕事をしておられますか?』と来たので、何がばれたのかと。twitterでRTしすぎたのかな、とか全然的外れなことを考えながら、返信をしました。
『今、無職なんで転職活動しているんですよ』、と予想外の返答がきまして、色々お話をした結果、面接に来ていただけることに。
2年前にとってもお世話になった方で、本当に素敵なんですよ。エンジニアとしては超一流、流行に敏感、敏感すぎて娘の服を選んでいるくらい。
年齢も40半ばなんですが、しまむらと靴下屋とももクロが好きで、しまむらが好き過ぎてアプリを作っちゃうくらい。
もしかして、また一緒に働けるかもしれない…と思うと、嬉しくてたまらないです。
余談ですが、この人も関西出身の方です。あれれ…。


116>>>別れ。

いくつか前の記事で、遺影の撮影をした人が亡くなりました。既に2週間以上前の出来事です。
不思議な事に、訃報を受けたときは意外と取り乱すことも無く、涙もでませんでした。悲しいのと、寂しいのがベースにあるんですが、お疲れ様でしたという気持ちが大きかった気がします。
お葬式には参加できなかったのですが、私は親族でもなければ、お弟子さんとも違うので、49日の間にお線香をあげにいければと思っています。
振り返れば、2年前の夏から約1年半の闘病生活の間、沢山の事を教えてもらった気がします。

書いていて、ふと気が付いたんですが、私が尊敬する人って何故か関西出身の人ばかりです。
・前述の方は京都出身、京都育ち。優しくて、強くて、明るい、三拍子揃っていて、私を実の子供のように可愛がってくれました。
・シェアハウスでお世話になっている、お兄さんは関西生まれ。仕事をさっとこなし、料理もできて、博識な人です。いつも頭があがりません。
・仕事で知り合った方で、大阪育ちだそうです。部長という立派な肩書きなのに低姿勢、更に後輩からとても慕われています。

尊敬する人ってこれから、どんどん増えていって、今回みたいな別れもまた経験するかもしれません。
そう思うと、少し切ない気持ちと、しっかりしようって思います。まぁ子供っぽい意見ですよね。ごめんなさい。


115>>>就職。

この度、正式に入社が決まりました。できるだけ早い時期とのことで、もう来週には入社予定です。
色んな人に『ノマドを捨てるなんて、もったいない』って言われます。でもノマドというか、フリーランスの仕事って結構辛い気がします。
営業をしながら、技術を学びつつ、生活も豊かにって、割と難しい気がします。実際、新しい技術を学べるようにと、新規の仕事を取ったら、徹夜続きになってしまいました。
なので、しばらくは土台造りに注力しようと思います。
そうそう、最近よく一緒に飲みに行く人がいて、耳が痛くなるほど言われます。『君に必要なのはコントロールする能力だ』と。 特に時間のコントロールについて言われています。うー耳が痛い。時間はお金にも、体調にも、密接に関わっていると言われました。3回も言っちゃいますが、本当に耳が痛い。
そういえば、咳が止まりました。物凄く楽です。来月からは仕事が始まるので、時間も体調もしっかりコントロールしていきたいところです。あと個人的には、体重も。


114>>>合コン。

先日、1年ぶりくらいの合コンをしました。といっても、私は幹事だったので、色んな調整をしたり、前情報流したりなんかして、完全に裏方でした。
今回は女性が20代半ば、男性が30代前半だったのですが、男性側幹事だけ年が離れていて、40歳というちょっと変わった合コン。ちょっとした事情があるのですが、長くなってしまうので割愛します。
勿論ご結婚もされているので、若手の出会いの場を作るおっさんだよ、って笑っていました。
場所は神楽坂の蕎麦屋にあるはなれ。合コン定番の『もやもやゲーム』なんかをして、良い感じに盛り上がりました。
思っていた以上に若手4人が意気投合してしまい、幹事以外の4人はその後カラオケに行ったそうです。
合コンって、やっぱり幹事の手腕で、成功率がぐっと上がります。
今回の合コンは、お店の場所も都内でアクセスが良く、はなれの個室だったので、人の目を気にすることなく楽しめました。
更に『もやもやゲーム』をやろう、って言い始めたのは、なんと男性幹事さん。実は、以前2人で飲んだ時に、私がやり方を教えたんです。
そこそこ話がひと段落、緊張がほどけたかなぁってタイミングで、入れてきました。流石、営業さんってところでしょうか。
実際に翌日、参加してたイケメンくんに『輝いて見えました』と言われたそうで、嬉々としてメールをくださいました。
私も幹事とはいえ、久しぶりに明るく楽しいお酒を飲み、こうゆうのも良いなって思いました。
余談ですが、男性幹事さんとは合コン後、ショットバーでしっぽり祝杯をあげました。
そこそこに日本酒が入っていたのと、『アブサン』という薬草系のお酒を飲んだ結果、電車で寝過ごしてしまい猛省しました。
来月からは、外にも飲みを増やそうかなって思っています。


113>>>変わってゆく。

年の初めに京都へ行って、遺影の撮影に立ち合った。『立ち合いをお願いしたい』と言われ時にには、胸がざわざわするような感覚に陥った。
祖母が亡くなった時は、元々あった写真を使った。今回も同じように写真を探しても良かったんだけど、本人が遺影の写真を撮りたいと申し出るのだから、私たちはそうするしかない。
私は表向き軽く『いいよ』って言ったけれど、すごく怖かった。正直なところ、お正月は楽しく出かけたり、買い物をしていた反面、ずっと何かがのしかかっているような、気持ちの悪い状態が続いていた。
深夜バスで向かい滞在時間は10時間、本当に立ち合いのためだけに行ったようなものだった。
実際の立ち合いは4時間程度。結論から言うと、遺影はとても綺麗に取れた。本人も息子さんも、重い気持ちだった私ですら、思わず笑顔になるくらいの出来だった。
プロの人たちは本当にすごかった。メイクさんが痩せてしまった顔は口に綿を含ませると、病前と同様の輪郭になった。オイルを塗って化粧をすると艶やかで張りのある肌、チークを入れて発色もよく健康的な肌になった。髪は生前の写真から、かつらを作ってくれて、肉眼でみても生え際なんか全然分からないくらいだった。
カメラマンさんは・宴Cトをあてて、表情も明るく、彼女のしゃんとして力強く、明るく元気な人格が写真からにじみ出ていた。
そして息子さんである、着付師さんはこの日の為に新しい着物を仕立てて、着付けをした。桃色の着物に、白い帯、赤い帯どめ。とても綺麗で、少し泣きそうになった。
私も着物を着て、写真を撮った。朱色の振袖に金の帯で2人並んで撮った。『本当に親子のよう』と言われて、ほろりときてしまった。
4時間にわたる撮影で、流石に疲れてしまったのか、帰る前はベッドで横になりながら、2人でお話をした。
私が本当に無くなるのは、私を覚えている人がいなくなった時だ、と言われた。亡くなるなのかもしれないけど、そこは咄嗟のことで聞けなかった。
12月からしている、転職活動の事も聞かれた。こんな時に私の心配はしないでほしい、1社内定もでているし、他もこれからだからと伝えた。
急に『入社時期はいつ?』って聞かれた。ドキっとしたけれど、内定も他社がでていない状態で、決めれないよと言った。当たり前かもしれないけれど、彼女のほうが一枚上手だった。
『私のお葬式が終わったら、なんて考えてない?』って笑いながら聞かれた。図星だったし、本人にずばっと言われるとは思わなかった。
少し無理をしてフリーでやっていたのも、『京都へ行く時間の確保』を優先していた。どこかの会社に入れば、有給休暇は3ヶ月は付かない。
親族じゃないから、どんなに私の中で大切な人でも、私は看取ることも、送ることもできない。
『遠慮しないで、来月から入社しなさい。あと3カ月、がんばるから』
そんな事を言われたら、がんばらないわけにはいきません。。
それから年明けに面接をして、気が付いたら4社内定をもらった。転職エージェントさんも、ちょっとビックリするくらいに、急に内定が出た。
以前は『がんばる』って言葉が苦手だった。それに大抵の人は『がんばってね』って言うのに、『がんばるから』って言うのは彼女らしい言葉だと思う。
そして、遺影の撮影が終わって1週間は、やっぱりちょっと落ち込んでたんですが、最近はそんな事もなくなりました。
今月もあと10日ちょっと、就職活動の目途がついたら、また京都へ行こうと思います。


112>>>あけましておめでとうございます。
元旦は初日の出を見たり、温泉へ行ったり、とても楽しく過ごしました。2日は何してたんでしょうか・・・カフェに行ったくらいかな。3日は夜行バスで京都へお見舞いへ行き、4日の午後に帰ってきました。
体調も少しずつ回復してきて、肺もの痛みもとれてきました。とはいえ、12月は体調とか肋骨のヒビとか、全然気にならない位でした。良くも、悪くも。
さて、年末に1年を振り返りました。去年は今までにないくらい、荒れた年だった気がします。仕事は会社でも個人でも、うまくいかず、恋愛は相手の方に、沢山迷惑や負担をかけてしまいました。体調も精神も不安定なまま、年を越してしまいました。
なんて不甲斐ない・・・と、考えれば、考えるほど、どうしょうもないなって思ってしまいます。
今年は土台をしっかり作る年にしようかと思っています。きっと抱負って、自分の中に秘めておくものなんでしょうけど、文字にしたほうが1年後読んで色々考えれる気がしたんです。それに、誰かに見られていたりすると『ちゃんと、やらなきゃ』って気がします。
結局、誰かに頼るんじゃないか、と言われたら何も言えませんが、やっぱり誰かの目があるって大きいです。
仕事も個人の仕事は1月まで、2月からはなんとか就職を決めたい。体調が安定すれば精神的にも良くなる気がします。そして、少しでも節約して京都へお見舞いへ行きたいです。
あと、夏には4年ぶりに実家へ帰ろうと思います。まぁ喧嘩になったら、その時は受けて立ちましょうってことで。
最後に月並みな言葉ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。


111>>>私が落ち込んでいたり、鬱々としている時に限って、お菓子を買ってきてくれる人がいます。
彼女とは全然、仲良くなかったし、連絡先を交換した・フも数か月前。でも、本当にタイミング良く、呼び出されるんです。
昨日も本当に鬱々としていました。朝起きて、落ち込み、お昼は電話をして、その内容に沈み。そんな時もやっぱり、シュークリームがあるよって呼び出されました。
ちょっと食欲が落ちていて、少ししか食べれなかったんですが、本当にいつも感謝・オています。
私より年は下なんですが、ちゃらんぽらんな私に比べて、真面目でしっかり者です。いつか、ちゃんと恩返ししたいんですが、なかなか良い案が思いつきません。うーむ。