70>>>最近は体調がとても良く、たまに雨の日は頭が痛いけれど、それくらい。そう、わたしは早寝するようになりました。
きっかけは、いつも私を心配してくれる人が、体調を崩したんです。びっくりしました、少なくとも私が知ってる中では、熱なんて出したことない人でした。
すごく心配になって、もしかすると何かの兆候かもしれない。もし入院とかしたら、私は何もできないんだなとか、色々考えました。
私はすぐに高熱だすし、体調悪いと異常に汗をかくし、夜寝れないと翌日はベッドから出れなかったりします。
それをいつも心配してくれたんです。私ほどではないにしろ、こんな思いをさせてたのかなぁと思うと、すごく申し訳なくなりました。
自分が当事者にならないと気が付かないなんて、なんて不甲斐ない。でも、これから心配かける機会も減るはずです。多分!


69>>>6月と言えば、決算とか株主総会とか、結構節目の月だなぁって思います。あとはボーナスとか転職も多い時期ですね。
昨日、ふとみた決算公告で、前に勤めていた会社が赤字になっていることを知りました。驚きはそんなにありませんでした。というか、そんな予感があって辞めたことを思い出しました。
私はとても運が良くて、たまたま会社の屋台骨となるゲームの担当者でした。しかも利益率も高く、私が担当していた時はバブル期なんて言われていました。
実際に出せばそこそこ売れたし、私のような未経験者でも、月に100万円くらいの維持費で5000万売り上げるような時代でした。
最初は大ヒットがでた、と社内中で盛り上がっていたんですが、次第に様子が変わってきました。お金が稼げるとわかると、続々と大手が参入してきたんです。
出せば売れる時代なんて一瞬で終わりを迎えて、クオリティと戦略的な広告が必要な時代になりました。
そんな時代がくるって分かっていながら、上の人たちは何も変わらなかったんです。
分析をすることなく、本気になることもなく、勝負なんてしたくない。そんな環境で上手くいくはずがないなって思いはじめました。
全力で取り組む学生アルバイトのフォローをしつつ、過去の売り上げにすがる上層部とぶつかりながら、不安を募らせていました。
そしてある日、上層部の言い分にどうしても納得がいかないことがあって、辞めることを決めました。
やっぱり仕事をするなら、一緒に頑張れる人がいい。こんな単純な理由で仕事を辞めるなんて、全然思っていませんでした。まともな人なら次の仕事が決まるまで我慢しますしね。
結局、仕事も決まってない中、京都へ行って、本を読み、神戸にいってJAZZを堪能。最後は小豆島へ行って、オリーブを収穫してきました。
その合間に、週替わりのカフェ経営の話がきて、ついでにエンジニアの話が来ました。書いてて気づいたんですが、物凄い勢いでいろんなことが起こっていたんですね。
、 ソーシャルゲームって業界を選択した時から、安定を捨てました。大手だっていつ潰れるか分からない、1年前は何百億って黒字を出してる企業が、あっさり潰れてしまう業界です。
でもそんな世界に、やっぱりドキドキしてします。人生で一回くらい勝負してみるのもいいかなって。


68>>>魔の6月が終わりました。色んなことを考えたり、不安になったけれども、乗り越えられそうです。
でも実は、毎年もう少しかかっちゃうんです。7月の上旬くらいに、やっと持ち直すんですが、今回はさくっと持ち直しました。
とっても嬉しいことがあったんです。ちょっと下向きな気分が、すっごく上向きになるくらいの。
すごく色んな事をしてもらって、私はあまり返せてない気がするけど、これから少しずつ返せますように。


67>>>あまり考えすぎるな、と周りの人達は言うんだけれど、どうしてもしっくり来ない。
考えない自分は、本当に自分なのかなって思う。こんなことを考えてる時点で、考えすぎなのかもしれない。


66>>>最近、体調もだし体温も安定してなくて、朝起きたら汗びっしょりなんてこともあったりして、病院に行ってきた。
婦人科系が弱いのは10年前から知っていたし、薬の副作用でホルモンバランスが良くないのも知っていた。
まぁ予想の範囲内だったので一安心。色んなことを最悪のケースで想像してしまうのは、良い事なのかな、悪い事なのかな。
フェールセーフ的な考え方をするなら、最悪でも生きれるようにするんだよね。でもそれって本当に最悪のケースだ。
体調が悪いと、どうしても何かに依存したくなってしまう。それはお酒であったり、趣味であったり、本であったりするんだけど。
依存癖あることに対して自覚はあるので、どうにか人にだけは依存しないように、物理的な線引きをしている気がする。これは話さないとか、自分から誘わないとか、なんとなくな線引きだけど。
きっとセーブしなかったら、大変なことになる。毎日会いたいし、毎日話したいってなってしまう。それは恋人かもしれないし、友達かもしれない。というか、あまり関係性は重要じゃない。
少し話せればいいから、話しかけてもらいたい、になって、一緒にお酒飲めればいいが、話を聞いてほしいに変わっていく。そんな風に、欲張りになる自分がちょっと怖いなって。
依存といえば、ここ数日は本に依存気味。毎年この時期は本をがつがつ読んでしまう。
今日は野沢尚さんの命日。ここ一週間でリミット、呼人、深紅を読んで、なんともいえない気持ち。本当にこのエンドでよかったのかなって、毎年思ってしまう。


65>>>今日は全然、頭の中が整理できなくて、ストレスを発散する代わりに小説を読んだ。3冊読んだので、1日で1000ページくらい。
誰かと会話する気分じゃなかったし、一人で色々と整理したいなって思った。
わたしの人生って何だろう、なんて少しセンチメンタルなことを考えてみたり。
修羅場をくぐったとか、変わった仕事をしたとか、そんな不幸を比べたところで、何も良い事なんてない。経験豊富なのってすごいよ。色んな仕事していてすごいよ。色んなことしてたんだねとか。
でも本当に欲しいものって、その経験には何一つなかったなぁって思う。
すごいとか、頑張ってるとか、そんな言葉と引き換えに、私は本当に大切だったものを手放してしまったんだと思う。
こんなことを考えてしまうのも、6月病だからかな。毎年の傾向だけども、あと1週間もすれば少し戻るはず。


64>>>久しぶりに喧嘩しました。普段からあまり感情的にならないようにしてたんですが…触れてほしくない部分に触られて、自制がきかなかったんだと思います。
多分、私のことを思って言ってくれてるんだと思います。でも、自分のことは自分で決めたいし、一度決めたことを『やっぱりやめた』なんて言えません。
腹立たしい気持ちと、悲しいって気持ちが一気に押し寄せてきて、頭がぐるぐる。やっぱり今年の夏は、どこか遠くに行こうかなぁ。


63>>>先日、前に住んでいたシェアハウスへ遊びに行きました。前に住んでいた子が、子供を連れて寄ってくれたんです。
すごく可愛くて、一度抱かせてもらったんですけど、やっぱり可愛いなぁなんて。
あと昨日、ちょっとした用事があって、地元の友達と連絡をとりました。すると、facebookのタイムラインに懐かしい顔があって、ついつい色々みてしまいました。
私が住んでいた地域は、とても小さな学区で、小学校と中学校が同じメンバー。1学年50人もいなかった気がします。
同級生の女の子は、大体苗字が変わっていました。ちょうど2年前が結婚ラッシュだったんですよね。子供と一緒の写真が多くて、みんな本当に幸せそうでした。
同じ年で同じように育ったはずなのに、なんか自分が子供っぽく思えてしまいました。
昨日も『子供作らないの?好きだったよね?』なんて聞かれて、赤ちゃんを見たときにも、実はちょっと寂しい気持ちが混ざりました。
少なくとも今は、身体的な理由で無理なのも分かってるし…結構、前に割り切ったつもりだったんですけどね。


62>>>雨が続いて弱気になってたんですが、今日はすっかり晴れて体調も戻りました。読み返すと前回のが、あれ?自分だよねって思うくらい、暗い内容でびっくり。
消そうか迷ったんですけど、書いてしまったものは仕方ないですよね。
私は大学も卒業していないし、大した資格ももっていないので『仕事がなったらどうしよう』って不安を、ずーっと抱えています。
周りからは『大丈夫だよ』って言われるけど、鬱になった時のことを思い返すと、どうしても楽観的にはいられません。
そんな中、大きなプロジェクトにアサインされて、来週から正式に発足することとなりました。
ここで成果をあげれば、この先10年くらいはごはんを食べていけるんじゃないかな、なんて思うんです。
そんな思いもあり、昨日の飲み会はちょっと体調悪かったけど、無理やり参加しました。良いチームを作ろうって思ったときって、やっぱりチームメンバーの事を知る必要があると思うんです。
参加した結果、色んなことを話せました。やりたいことや、これからの方向性、プライベートなことを色々と。初めて顔合わせする人もいたので、本当に良かったと思っています。
そのためにも体調をしっかり整えないといけないですね。


61>>>6月は一年で一番苦手な時期です。この時期に無くしたものが沢山あるから、だと思う。
大切な人が急に私の前から消えてしまったのも雨の日だった。バイクで転んで、病院に運ばれたらしいけど、あまり意味はなかったと3日後くらいに電話で聞いた。
わたしは学生だったし、向こうの実家がどこにあるかも知らなかった。共通の友達がたまたま教えてくれなかったら、振られたんだなと思って、違う意味で泣いてたかもしれない。
それから数年は、少しずつ悲しくなくなっていくのが怖くて、仕方がなかった。悲しみが薄れていくこと自体は、冷静になってみたら自然なことなんだけど、当時は比例して思い出が減るような気がした。
本当に悲しいって気持ちが、一切なくなってしまったら、私はどうすればいいんだろう…なんて考えたりして。思春期の頃だったので、余計に考えすぎてたのだと思う。
あれから10年以上の月日が流れて、実は今でも悲しい気持ちになります。でも、その事が少し嬉しい気もするって、なんだか矛盾していますよね。
でも、感情だから仕方ないんです。理屈じゃないし、分析することもできない。そもそも分析ができたら、解決できてしまうはずなんです。感情だから根拠もないし、矛盾も生じるんだと思っています。
私も少しは成長したのか、昔は許せなかったものを、少しずつ受け入れられるようになりました。
そして、私が大好きだった作家さんが亡くなったのも、やっぱり6月でした。TVで流れた訃報を聞いたときは、誤報かと本気で思って何度もwebで検索した。
『どんなに悲惨な過去に苦しめられ、 どんなに罪深い過ちを犯していようと、すべてを引き受け、その人生を生きろ』---『眠れる森』(幻冬舎文庫)の野沢尚の手記より
そんな事を書く人が、『夢はいっぱいあるけど、失礼します』という言葉を残して、自殺したことが信じられなかった。
当時書いてた脚本の『坂の上の雲』もまだクランクインしていなかったし、小説『ひたひたと』の原稿も未完のままだった。
野沢さんの命日まであと1週間と少し…思いを巡らせながら、読みなそうかな。もちろん悲しいのだけど、やっぱり少し嬉しく感じる気がします。
昔はそんな矛盾が、ひどく気持ちの悪いものでしたけど、今はすごく素敵なものだと思います。説明ができないからこそ、素敵なのかなぁなんて。