40>>>昨日、久しぶりに泣いた。ここを更新しない8年間で、鬼籍に入った人が数人。友達もいたし、旅先で仲良くなった人、バーで声をかけられた人、曾祖母も亡くなった。
死はとても理不尽に、突然来ることがある。世界中で人の死が『良くない』とされるのは、親しい人や愛する人が、こういった理不尽な思いをしないためだと思う。
私の中で『生きている』ことは、針の上に立ってるような感覚で、とても脆く危なっかしい。気が付いたら、明日が見えない日が増えていた。未来という言葉はとても遠く感じる。
思い返せば、最近は『未来の約束事』をしなくなった。適当に言葉を濁したり、話題をかえたり。
体を持つって、とてもリスクがあるなって思う。血がちゃんと体にめぐり、水分が一定に保たれ、酸素が充満している。この条件のいずれかが欠けただけで、とても簡単に人は死んでしまう。
遠い未来かもしれないけど、人が体を手放す時が来るんだろうか。脳があれば、あとはバーチャルでかまわないのかもしれない。
好きな時に会うことができて、けがも病気もない世界。そこに、肌の温もりとかってあるんだろうか。
そんな世界になったら、こんな寂しく悲しい思いはしなくても済むのだろうか。


39>>>つい3年前、私はある人と婚約していた。その年の秋には入籍もする予定で。
その関係は、すごくあっけなく解消された。きっかけは、たった一通のメールだったと思う。理由は『合わなかったから』、というよくある内容だった。私は泣くこともなく、悲しむこともなく、体から消えた複数の湿疹を見ながら、実家に数日留まった。
東京に戻ると、仕事を辞めた。仕事は辞めるようにと先方から釘をさされていたし、少し引き止められたけど『結婚』という大義名分で退職手続きは機械的に進められ、秋になる頃には無職になった。
その頃、私は婚約を解消した人と、同棲をはじめた。楽しいこともあったけれども、関係も、人格も、生活も、ありとあらゆるものが歪んでいった。家に一人で、悲しくもないのに、よくわからない理由で泣くだけの日々が過ぎていった。元婚約者と二人で泣くことも、少なくなかった。穴を埋めあうつもりが、穴はどんどん広く、深く、不気味になっていた。そして、わたしは『鬱病』と診断された。
そんな歪な関係を解消して、約1年半前に完治したはずの病は、仕事の忙しさと人間関係で、去年の夏くらいから顔を出し始めた。そして職場を変えた途端、一気に病状は悪化してしまい、また『鬱病』に戻ってしまった。
今の職場は理解のある場所で、わたしは就業時間から就業場所まで、かなり優遇してもらっている(と思う)。
また周りの人も、とても気を使ってくれる。ここ数年、本や映画、ネットで『鬱病』が一気に広まった。『がんばれ』って言葉を、あまり使わないようにしてくれたり、言葉が不安定な私に、優しく接してくれる人が多い。そのお蔭で今はゆるやかに、仕事や生活ができてるなぁって思うんです
そんな私に少しだけ、チャンスのような、試練のようなものがやってきた気がするんです。さて、どうしようか。


38>>>この時期が1年で一番不安になる。さらに雨が降ると気分がよけいに落ちる。誕生日が近い。
本来は祝い事なのかもしれないけれど、誕生日を迎える頃に"これから"を考えなくてはいけなくなる。
そして、同時に"これから"が無くなる日のことを、考えなくてはいけなくなる。
20歳の頃から、毎年繰り返しているこの習慣を誰かに言うと『しっかりしているね』とか、『ちゃんと考えてるね』とか言われる。実際、そんなことを考えなくても、普通でいれることがいいに決まってる。
不安にさせるのは、一度なくしてしまったからなのかな。それとも、もう既になくしてしまったからなのかな。


37>>>誰かをがっかりさせたくない。それは見栄なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
わたしはいい子でいなきゃいけないんだろうか。
きっといい子でも悪い子でも受け入れてくれる。でも、どこかにいい子でいたい自分がいる。
何ができて、何ができなくて、何をしたいのか。なんだか、少しごちゃごちゃになってきた。


36>>>昨日、人と話してて話題になりました。私には信頼できる女子友達って少ないんだなぁと。一人思い当たる人はいるんですが、住んでる場所がちょっと遠いんですよね。良いことも悪いことも話せた、悪友ってこんな感じなのかなって思ったのはもう数年前のことでしょうか。
『女らしい』といわれるのが昔から苦手。がさつだったし、言葉もきれいじゃなかった、そして何より子供の頃の『いちゃいけない感』があった。
割と自由な土地に生まれ、母はとても自由な人だった。ちょっと自由すぎて、常識という枠に囚われない変な母。父は基本は真面目だけど、仕事は一生懸命、面白い事好き、時々ふざけたりなんかして、娘に嫌われるような無難な父。
ただ、父方のご親戚一同は昔ながらの人で、当時は主流じゃなかったできちゃった結婚をした母を、あまり良くは思っていなかった。子供の私が肌で感じるくらいだから、あまりというか全然よく思っていなかった。そして、その良くない思いは私にも向けられて『生まれたのが女の子じゃねぇ』と、小さな頃は毎回言われた。小学生にあがってから、言われはしなくなったので『小さいからわからないだろう』と思って言ってたんだと思う。
それでも、やっぱり、長男である弟とは扱いが違いました、勘違いじゃ済まされないくらいにはっきりと。
また弟は体が弱く、喘息に腎臓まで患ってたので、わたしは一人でいることが多かった。母と父から沢山愛情はもらってた。それでも当時は、そんな事に気づくことなく、なんとなく『私はいらないんじゃないかな』って思いながら、中学を卒業。
小学生から、自分の食べ物を作り、洗濯をして、夜は寝たふりをして本を読む。そんな生活の中で『独立心』は、着々と育ち、中学卒業したら絶対に働こうと思ってた。
そして、私の中で『女』であるメリットに疑問を持ち始めたのも、中学の時期。恋愛よりもお金に興味があった、可愛げのない中学生。私が男だったら新聞配達だって出来たし、仕事をしたいと言ってもナメられたりはしないんだろうって。
器用で出来の良かった弟への、ちょっとした嫉妬もあったのかもしれない。
今は『女性』であることに、別に違和感なんてないんだけど、時々ふと『もし、女性じゃなかったら』って思うのは、この頃の名残かもしれない。
あと男性とのほうが、色々話せるのはまた別の理由な気がしてきた。ちょっと長くなりそうなので、この話はまたいつか。


35>>>ここをまた更新することになりました。以前の更新は学生の頃、今の私は社会人8年目…約8年ぶりの更新です。
実はこのページが残っていたことに、ちょっと驚いています。今回のきっかけは『本音を言うこと』について書かれた、ブログ記事をみたこと。そういえばブログもなかった時代、本音を吐き出す場所があったなぁなんて。
流石に8年も経つと、HTMLの標準も変わっていてるし、リンクも切れてたりで少し手直ししました
更新のきっかけをくれた人に感謝。人を何かの行動に導くことは、意図していても、そうじゃなくても、難しい気がする。それだけのエネルギーがブログの記事にあったのでしょう。
過去のログをみて思ったのは、ここを更新する時って『こころのバランス』をとりたいときなのかもしれない。ここに書くことでわたしの心はすこし正常に戻っている気がする。


34>>>一年ぶりの更新に自分自身が一番ビックリしてます。前回更新でよりを戻した彼氏とは別れ、好きな人がいて、それなりの関係を保っていて。きっと誰かに話したら、反対されると思うけどん、もうしばらくは。


33>>>彼氏と結局より戻りました。私はどんどんわがままに。まわりの環境に恵まれすぎてるのかもしれない。



32>>>ご無沙汰です、更新日を書いてないので、自分でもわけがわかりません。内容から推測するとおそらく3ヶ月ちょっとぶりの更新です。ここはよっぽど凹まない限り更新しないと思っていました。私が凹むこと…最近は恋愛の話題が多いですね。一緒に行った場所、一緒に聴いた曲、一緒に勉強した教室。どれもが私には今、辛すぎる。人前で泣くのは苦手、雰囲気悪くなるし。でも引き止めなきゃって時には泣くんですよね。ずるい。あー消えたいなぁ。なんて久しぶりに思った。死にたいとかじゃなくてね、消えてみたいなぁ、たまには。


31>>>なんだかとても順調です。内定決まりました。国家試験受かりました。なんとなくだけど、人生が計画通りに進んでいる。人脈をつくり、勉強をし、気合をいれる。最終的に目標にたどり着けばいいと思う。唯一順調じゃないのは、お金。就職活動で働いていなかった数か月。オークションで生活を繋いでます。